短期間に成熟していく天才
若きラファエロの出世作
 ヴァチカン宮殿の「ラファエロのスタンツェ」と呼ばれる4つの部屋(イタリア語でスタンツェ)は、 教皇ユリウス2世が公邸として使ったスペース。ユリウス2世はまず「署名の間」の天井画の一部をラファエロに依頼した。 ラファエロにとって、ローマで初めての仕事になる。
 引き続き同室の壁画を依頼された彼が、わずか27才で完成させた「アテネの学堂」は、キリスト教の総本山であるヴァチカン宮殿に、 多神教である古代ギリシャ・ローマ神話や当時の思想・哲学を持ち込んだ“問題作”だ。古代ギリシャのアテネにあったという学堂を モデルに、レオナルド・ダ・ヴィンチに似せたプラトン、ミケランジェロに似せたヘラクレイトスら、古代ギリシャの哲学者や 数学者が登場する。画面両端に描かれた彫刻は古代ギリシャ・ローマ神話の学芸の神であるアポロンとミネルヴァだ。 古代ローマやギリシャの共和制への憧れから生まれた古典復興は、カトリックのお膝元であるヴァチカン宮殿にまで及んでいた。 「聖ペテロの解放」は捕らえられた聖ペテロ(キリストの一番弟子で、最初の教皇ともみなされる)を天使が救い出すという場面。 中央では牢獄の中に天使が舞い降り、画面右では天使が聖ペテロの手を引いて牢獄の外に出ている。 時間の経過を1枚の画面で現す「異時同図法」という手法だ。闇の中に月明かりと松明、輝く天使の3つの光源が浮かび上がる ドラマチックな表現はバロック芸術を先取りしている。

 ラファエロと、彼の死後も制作を続けた弟子たちは、約15 年かけて「ラファエロのスタンツェ」を仕上げている。 後期に描かれた「ボルゴの火災」は847年、ヴァチカンで発生した火災を教皇レオ4世の祈りで鎮めたという事件を描いたもの。 この絵では人物が引き延ばされたり、筋肉が強調されるなど、ミケランジェロに似た劇的な表現がされている。 彼は「ラファエロのスタンツェ」を描いていたとき、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描いているのを見ていたはずだ。 ミケランジェロが自らの様式を次々と捨てて新しい様式を身につけていったその過程に、ラファエロはリアルタイムで追いついている。 ヴァチカンではこうして、二人の天才が火花を散らしていた。
 「キリストの変容」はラファエロの遺作となった絵。上半分に描かれた「キリストの変容」はイエス・キリストが弟子とともに 高い山に登り、旧約聖書の預言者モーセとエリアと語りながら白く光り輝く姿を弟子たちに見せた、という聖書の記述に基づいている。 下半分には悪魔憑きの少年が癒やされる場面が描かれる。中央後ろ向きで膝をつく女性はミケランジェロの絵からポーズを引用したものだ。 当時のラファエロは大勢の弟子を率いて制作をプロデュースする立場だったが、この絵は例外的にほとんど彼一人で描いたもの。 「聖ペテロの解放」に続く劇的な明暗のコントラストも印象的だ